大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和49年(ワ)8672号 判決 1980年6月09日

原告

岩谷新一

原告

岩谷みよき

右両名訴訟代理人

横谷瑞穂

被告

一志典夫

被告

片山弘

被告

片山信

被告

松井良友

右被告ら訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

第一被告一志に対する請求について

一当事者間に争いのない事実

亡恒雄が昭和四九年五月一〇日作業中に左手第三指に挫滅創(本件創傷)を負い、医師である被告一志との間で、同日右創傷の治療を目的とする診療契約を締結したこと、亡恒雄が一七日破傷風の症状を呈し、一八日破傷風によるけいれん発作のため窒息死したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二亡恒雄の受傷から破傷風発症に至る経緯

<証拠>によると以下の事実が認められ、<る。>

(一)  亡恒雄(昭和二六年四月一八日生)は、東京都江戸川区東篠崎町五一二二―二所在の工場で金属プレス加工業を営む斉藤豊(斉藤製作所)に雇用され、昭和四九年五月二日から同所で工員として働いていた。亡恒雄は、同月一〇日午後四時四〇分ころ、プレス機械を作動させて、テレビアンテナ部品を加工作業中、誤つて左手第三指をプレス機械に挾んで潰され、あわてて手を引いたため、同指第二関節付近の三分の二程度が引きちぎれたような挫滅創(亜切断状態)を負つた。亡恒雄は、当日は両手に新品の軍手をはめて作業していたが、これも受傷時には、既に油、鉄くずや、加工部品に付着していた錆のため汚れていた。

亡恒雄は、右受傷後直ちに止血措置をとり、近くにある被告一志が開業している外科医院に赴き、その治療を求め、同被告が治療にあたつた。

同被告は、亡恒雄の受傷した斉藤方工場の所在地は、江戸川下流域の低湿地で、他と比べて破傷風の発症率が高いといわれている地域であることを知つていたが、かねてより診療した付近のプレス工場で受傷した患者のうち破傷風症例は皆無であり、しかもかつて経験した五例ほどの破傷風症例はいずれも戸外での受傷例であつたところ、亡恒雄の受傷は工場内でのもので、その創傷部位には、一般に破傷風感染が懸念される、土壌、動物の糞便による汚染がなく、また異物も肉眼で認められなかつたので、破傷風感染の可能性を予想しなかつた。

そこで、被告一志は、まず亡恒雄の創傷部位をオキシフルで洗滌消毒した。そして被告一志は、本件創傷部分の筋肉、筋、及び血管が切断され、潰れている程度から、形成術を施しても、創傷部が癒合する確率は低いと判断したが、亡恒雄本人及び雇主である斉藤豊の強い希望もあり、切断手術はいつでもできることから、ひとまず、挫滅部分を除去せずに、指形成術を行つて様子をみることとした。そして被告一志は、比較的つないで助かりそうな筋、腱を絹糸でつなぎ、縫合を容易にするため創傷部の辺縁を一部切除したうえ、皮膚の縫合を行つたが、血管縫合は行わず(行う設備も能力もない。)自然治癒に委ねることとし、化膿防止のため、抗生物質クロロマイセチン一日一グラム三日分を与えた。

(二)  被告一志は、翌一一日来院した亡恒雄を診断したところ、縫合部は良好であつたが、指先、爪の部分が少々黒ずみ、壊死をきたしつつあつたので、亡恒雄に対し、その部分は切除しなければならない旨述べた。亡恒雄は、当日受傷部の痛みを訴えていたが、元気な様子であつた。

(三)  被告一志は、翌一二日は日曜日のため休診し、一三日来院した亡恒雄を診断したところ、縫合部の経過は依然良好であつたが、指先が血行障害のため壊死をおこし、黒ずんでいたので、壊死部分を切断することとし、ただ切除部分をできるだけ短くする上で、壊死部分を見きわめる必要があり、どの部分を切除すべきかの迷いもあつたので、手術を一五日に行うこととした。そして被告一志は、亡恒雄に抗生物質クロロマイセチン一日一グラム三日分を与えた。

(四)  被告一志は、翌一四日来院した亡恒雄を診断したが、格別に変化はなく、亡恒雄本人も、だるさなどの症状を訴えるようなことはなかつた。

(五)  被告一志は、翌一五日来院した亡恒雄の本件創傷部位を診断した結果、壊死部分が受傷部位にまで及び、多少化膿をおこしていたので、当初の受傷部位から切断することに決定した。そして、被告一志の医院に週一回勤務していた桜井健彦医師が執刀して、亡恒雄の左第三指第二関節付近(健康な皮膚で縫合する必要があるので、受傷部より多少指の根元側)を切断したうえ、傷口を縫合した。亡恒雄は、切断部の疼痛を訴えたのみで、元気な様子であつた。

(六)  亡恒雄は、翌一六日被告一志が休診のため斉藤方にいたが、食欲がなく、体がだるそうな感じであつた。

(七)  亡恒雄は、翌一七日朝斉藤方で首がまわらないという自覚症状を訴えていた。

被告一志は、同日午前一〇時半ないし一一時ころ、午前九時ころに来院していた亡恒雄の切断縫合部位の診断を行つた(亡恒雄の来院時間は当事者間に争いがない。)が、その際、亡恒雄の話し方は普通であつたものの、頭痛、首がはる、だるい、という同人の症状から、本件創傷部から侵入した菌により破傷風に感染したものと診断し、その治療にあたつては、系統だつた診療が要求されるので、同被告がかつて勤務していた被告弘の経営する片山病院で治療を受けさせることにした。そして被告一志は、亡恒雄の勤務先である斉藤豊方に二度電話し、亡恒雄を早く迎えにきて片山病院に運ぶよう依頼したところ、斉藤本人が不在で、すぐに帰宅するとのことであつたので、これを待つていた。他方被告一志は、片山病院に電話して、破傷風患者の治療を依頼した。そして被告一志は、午後〇時半ころまで、斉藤から迎えの車が来るのを待つていたが来ないので、やむなく、午後一時ころ、自ら亡恒雄を片山病院に運んだ。

そして、以上認定の事実関係に、<証拠>を総合すると、亡恒雄は一〇日に本件創傷を負つた際、創部から破傷風菌が侵入し、被告一志が右創傷を開放創とせずに縫合したことが結果的に破傷風菌の良き培地となつて、破傷風に感染し、約六日半の潜伏期経過後の一七日朝、破傷風の初期症状を呈するに至つたものと認められ、右認定を左右する証拠はない。

三破傷風について

<証拠>によれば、以下の事実が認められ<る。>

(一)  破傷風の病原菌は、一端に胞子を有する鼓揆状をしたグラム陽性の嫌気性桿菌である破傷風菌で、健常の牛、馬、時には人(正常人の五パーセント以上)の腸管にも寄生物として存在し、排泄物と共に土壌に入るので、動物の糞便や、田園又は街路の土壌内に見出される。

従つて、これらに汚染された外傷は、破傷風感染の蓋然性が高いといえるのであるが、新生児の臍部、産褥子宮、その他中耳炎、種痘、痔の手術等意外な創傷により発症することもあり、総じていかなる創傷からも、破傷風発症の可能性があると解されている。

しかし、破傷風菌は絶対嫌気性菌であるため、空気の流通と血流の充分な場合には、繁殖しないとされており、その感染には、①他の細菌殊に好気性菌との共棲(好気性菌が酸素を消費する。)、②創縁の維織障害と循環障害(壊死、挫滅、血腫、嚢形成)、③異物の侵入(竹、木片、砂、布片など)、④季節(むし暑い時候)及び地域、といつた補助条件を必要とする。

(二)  破傷風菌は、感染局所にとどまり、発芽、増殖して、盛んに毒素を産生し、これが血行性又は直接に末梢神経を伝わつて中枢神経に達し、運動神経節細胞と結合し、その興奮性を極度に高め、また感覚神経の末端の被刺戟性も多少興奮するので、僅かの刺戟によつても、筋肉が極度のけいれん性収縮をきたす。

破傷風菌は、感染後数時間以内に毒素を産生し、一八時間以内に毒素の流出を始めるといわれている。そして、創口の状態或いは産生される毒素の多少などによつて、予後が殆んど決定されるといわれており、わが国の場合、最近でも、その致命率が約七〇パーセントと、極めて予後が悪い。

(三)破傷風に罹患した場合の症状及び経過は次のとおりである。

第一期(潜伏期。感染から症状発現まで。)は、通常五、六日ないし数週間に及ぶといわれている。潜伏期間と予後との関係については、潜伏期間が短い程予後が悪いという意見があり、潜伏期間が五日以内のものは一〇〇パーセント、一〇日以内で七九パーセント、一〇日以上で三八パーセント死亡するとか、一週間以内で九一パーセント、二週間以内で八二パーセント、三週間以内で五〇パーセントの死亡率などといわれている。

第二期(前駆症状期。前駆症状発現から全身性けいれん発現まで。)は、通常半日から数日に及ぶ。症状としては、発汗、不眠、全身倦怠、食欲不振、便秘、興奮状態などがあるが、最も重視されるものとして、開口障害や項部硬直がある(実際の症状として、口を充分にあけることができない、物をかむと顎がだるい、物を呑み込み難い感じや肩こり、肩のはるような感じ、側頭部近くの疼痛など)。この前駆症状殊に開口障害発現から全身けいれんがおこるまでの期間をオンセットタイムと呼んでおり、予後の指標とされている。オンセットタイムが四八時間以内の場合の死亡率は一般に七五ないし一〇〇パーセント(これより低い数値として六〇ないし九三パーセントとするものもある。)、三日以内で二八パーセント、四日以内で8.5パーセントとされている。そして、オンセットタイムが四八時間以内の重症破傷風の場合には、治療開始が第三期の全身けいれん出現前であるか後であるかによつて、予後には影響がないとされている。

第三期(全身けいれん持続期間)は、通常一ないし三週間で、症状としては、開口障害、顔面筋のけいれんによる破傷風顔貌、項部硬直などがあり全身けいれんとしては、背筋のけいれんによる後弓反張がある。なお、当初の症状が軽くても、突然全身けいれんが勃発することが多い。また咽頭喉頭部の筋けいれんが起こると、恐水性破傷風といわれる状態になり、嚥下困難となり、呼吸筋が侵されると呼吸困難になり、窒息することがある。

第四期(全身けいれん消失期間)は、筋肉硬直、腱反射亢進が持続し、二、三週間に及ぶ。

なお破傷風に罹患しても免疫は得られず、再感染の例もある。

(四)  このような破傷風の予防方法として、現在最も確実とされているものは、破傷風(沈降)トキソイド0.5ミリリットルを三回皮下注射することによつて、免疫を得ることであるが、わが国では昭和四〇年代に入つたころから漸く乳幼児に対して施行されるようになつた(三種混合ワクチン)。

破傷風感染の虞のある外傷を受けたときの発症防止処置としては、①創傷処置(挫滅・壊死組織、異物の除去、創傷の辺縁切除、深い汚染創は開放創とする、充分な消毒と洗滌)、②破傷風菌に対して感性のある抗性物質(ペニシリン、テトラサイクリン、クロラムフエニコールなど)を一週間以上継続投与、③破傷風トキソイド0.5ミリリットルの注射(但し患者が最近一年間以内にこの注射を受けていれば不要)、④破傷風感染の予想される場合(即ち、土壌、動物の糞便に汚染された創傷及び異物が皮下に深く突き刺さつた創傷)で、患者が過去に破傷風トキソイド注射を受けていない場合には、TIG二五〇ないし五〇〇単位の筋肉注射(なお、従前用いられていたウマの抗毒素血清の場合には、一、五〇〇ないし三、〇〇〇単位。但し、副作用があるので、特別の事情がない限りTIGを用いるべきである。)を行うものとされている。

(五)  わが国での破傷風発症状況についてみると、毎年患者数が数百人程度で逓減の傾向にあり、昭和四九年で一五五名、同五〇年で一〇三名である。地域的には、関東、四国、九州に多く、昭和三二年度の患者発生率(人口一〇万人に対する割合)で二を越えるところは、千葉、宮崎、香川の三県で、いずれも海に面し、温暖の地である。また季節的には、温暖な四月ないし六月に発症率が高いという統計結果がある。

四被告一志の債務不履行責任について

(一) 亡恒雄が受傷した江戸川下流付近は、破傷風発症率の高いところであり、被告一志もこの点を了知していたこと、受傷時も五月で破傷風発症率の高い時季であること、破傷風はいかなる創傷からも感染する可能性があるのであるが、本件創傷は挫滅創であり、嫌気性菌である破傷風菌の良き培地となるため、その感染のための補助条件を具備していること(<証拠>によれば、昭和一五年から同三七年までの二三年間にわたる破傷風症例三〇〇のうち、外傷の種類別にみると、複雑創傷が32.7パーセントとトップを占めていることが認められる。)、破傷風に罹患した場合、その治療は困難であり、死亡率が著しく高いことは、いずれも前記第一の二、三で認定したとおりであり、右事実に照らせば、外科医である被告一志は、本件創傷の治療にあたり、破傷風感染の可能性をも考慮したうえ創傷処置をなすべきである。

そして、本件創傷の治療にあたり、破傷風感染の可能性を考えるべきであるとすれば、破傷風トキソイド0.5ミリリットルの注射(但し、患者が最近一年間以内にこれを受けていれば不要。)及び破傷風菌に対して感性のある抗生物質を一週間以上投与すべきことは前記認定のとおりである。

そこでまず、破傷風トキソイドの注射についてみると、被告一志が本件創傷治療にあたり、亡恒雄は対して、これを行わなかつたことは当事者間に争いがない。しかしながら、同被告が右破傷風トキソイドの注射をしていれば、亡恒雄の破傷風罹患及びこれによる死亡を回避しえたと断じうるような証拠はなく、かえつて、<証拠>によれば、亡恒雄は、昭和二六年生まれであるが、破傷風を含む三種混合ワクチンの乳幼児への注射が行われ始めたのは昭和四〇年ころであること(この点は前記第一の三で認定したとおり。)、亡恒雄の母及び雇主斉藤豊はいずれも亡恒雄が破傷風の予防接種を受けた記憶がないこと及び亡恒雄の病状経過などからみて同人は破傷風に対する基礎免疫を有していなかつたものと推認されるところ、<証拠>によれば、破傷風に対する免疫を有しない者は、破傷風トキソイド注射を受けても、その能動免疫を得るのは早くとも二週間から四週間を要するものであることが認められる。そして、遅くとも亡恒雄の受傷後七日目である一七日には破傷風が発症していたことは前記のとおりであり、被告一志が亡恒雄の受傷後二週間内に破傷風の発症を防ぎえたといえないことも後記の判断によつて明らかであるから、同被告が受傷直後の一〇日に亡恒雄に対し、破傷風トキソイドの注射を行つたとしても、破傷風の発症前に同人に能動免疫が生じる余地はなく、結局、被告一志が亡恒雄に対し、破傷風トキソイドの注射を行わなかつたことと亡恒雄が破傷風に罹患し、死亡したこととの間には因果関係を欠くものといわざるをえない。

次に、被告一志が本件創傷処置にあたり、亡恒雄に対し、一〇日に抗生物質クロロマイセチン一日一グラム三日分を与えたことは、前記第一の二で認定したとおりである。そして、<証拠>によれば、破傷風に感性のあるペニシリン等の抗生物質は、混合感染を防止し、また好気性菌の発育を抑えて、耐気性菌である破傷風の発育環境を悪くすることに意義があること、従つて受傷直後の右大量投与は理論上有意義とされており破傷風の発症防止の観点からみると、被告一志のした抗生物質の前記投与量では不十分であることが認められる。しかしながら、<証拠>によれば、抗生物質自体は破傷風菌の胞子及び毒素に対して無効であること、本件創傷のように血行障害のある創傷部には充分な量の抗生物質が到達しにくいこと、そして被告一志が当初亡恒雄に対し、充分な量の抗生物質を投与したとしても、実際に同人の破傷風の発症及び死亡を回避しえないことが認められるから、被告一志が亡恒雄に抗生物質を十分に投与しなかつたことと、亡恒雄が破傷風に罹患し、死亡したこととの間に因果関係があるものとはいえない。

なお、原告らは、被告一志は本件創傷(亜接断状態の挫滅創)の治療にあたり、TIC二五〇単位の筋肉注射をも行うべきであつた旨主張し、前掲甲第一七号証中にはこれに副う部分がある。しかしながら、破傷風がいかなる創傷からも感染しうるにせよ、一般外科医が、それ自体稀有の感染症の発症防止のために、常時TIG(<証拠>によれば、一瓶二五〇単位、四、五一一円)を相当量常備又は確保しておいて、挫滅創等の傷害を負つた患者に対し、一律に二五〇単位(一瓶)ずつこれを投与すべきであるとするのは相当でない(現に、<証拠>によれば、一般外科医である被告一志及び片山病院とも、TIGを常備しておらず、また片山病院において問屋に至急取寄せるよう注文したにもかかわらず、供給の関係で、四、五時間を要したことが認められる。)し、本件創傷は(破傷風発症率が相対的に高いとされている時季、場所での受傷による挫滅創であり、破傷風感染の補助条件を具備しているとはいつても)、土壌、動物の糞便等の異物によつて汚染されておらず、従つて、TIGを投与すべき破傷風感染の蓋然性が高い創傷には該当しないこと(前記第一の三の認定による。)から考えると、被告一志が本件創傷の治療にあたり、その診療契約上亡恒雄に対し、TIG二五〇単位の投与をも行うべきであつたとまではいい難く、また鑑定結果によれば被告一志が亡恒雄に対し右TIGの投与をしたとしても、同人の破傷風の発症及び死亡の結果を回避できたとはいえないことが認められる。

(二) 原告らは、被告一志は、亡恒雄の本件創傷治療にあたつては、充分な消毒と創面切除を行うべきであるのに、これを怠り、消毒しただけで、生着可能性もない杜撰な方法で本件創傷を縫合した旨主張する。そこでまず、本件の場合、創面切除等の創傷処置を採用すべきか否かについてみると、<証拠>によれば、挫滅された創傷では、組織壊死、溢血、凝血塊などがあり、細菌に対して良き培地となるものであり、組織の高度の欠損や挫滅は、創の縫合を妨げる条件となるので、暫時開放創として肉芽治療をすすめるべきことが認められ、また破傷風感染の虞のある外傷を受けたときの予防として、感染の補助条件を奪うために、挫滅組織の除去、創傷の辺縁切除等の創傷処置を施すべきものとされていることは前記第一の三で認定したとおりであり、また鑑定人百瀬健彦の鑑定結果によれば、被告一志の施した指形成術による創傷生着の可能性は殆んどなかつたことが認められる。しかしながら、亡恒雄と被告一志との間の本件創傷治療に関する診療契約は、第一次的には亜切断部の接合と原状回復を目的とするものであることは、亡恒雄がその接合を切望していたこと(前記第一の二)からみても明らかであるところ、指が三分の二程度もひきちぎられたような本件創傷の場合、創傷の創面を切除し、挫滅部分を除去し、開放創として治療することは、直ちに縫合する場合と比べて、その接合を一層困難とするものであることは、事の性質上当然であり、また亡恒雄が破傷風感染の可能性の高い場所、時季に受傷したとはいえ、本件創傷が破傷風感染の蓋然性が高いとされる土壌や動物の糞便等の異物によつて汚染されていなかつたこと及び破傷風の発症率が著しく低いことに照らすと、前記のような事実があるからといつて、それだけでは、被告一志が、亡恒雄の本件創傷の治療にあたり、本人の希望する創傷の接合を困難にするような創画切除等を行うべきであるものとはいい難い。

また、被告一志は、本件創傷を縫合するにあたり、筋、腱を絹糸で結んだにすぎず、血管縫合を行わなかつたもので、右縫合による生着の可能性は殆んどなかつた(前記第一の二及び前段で認定したとおり。)が、被告一志典夫本人尋問の結果によれば、血管縫合は特殊技術を要し、昭和四九年当時わが国でもこれを行うところは数が所にしかすぎなかつたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。従つて、一般外科医である被告一志が本件創傷の縫合にあたり、血管縫合まで行わなかつたからといつて、同被告が診療契約上不完全な履行であるとすることはできず、他に被告一志の右縫合が杜撰な方法によるものであつたことを認定できる証拠はない。

(三) 原告らは、被告一志は、一一日の段階で、生着の見込みがないことが判明したのであるから、縫合部を切開切除すべきであつたと主張する。そして、被告一志が一一日亡恒雄を診断したところ、縫合部より指先の爪あたりが黒ずみ壊死状態に陥つていたこと、そのため被告一志が少なくとも右部分の切除は避けられないと判断したことは前記第一の二で認定したとおりであるが、当初から生着の可能性がなかつたとはいえ、被告一志が一一日の段階で縫合部での生着が不可能であると判断した形跡はなく、他にこれを認めることができる証拠はない(また、一一日の症状からみて、そのように判断しなかつたことが、その注意義務に反するものとも断じ難い。)。

(四) 被告一志が一三日亡恒雄を診断した際、血行障害のため、指先部分が壊死に陥つていたこと、壊死部分は一般に細菌の良き培地となり、破傷風感染の補助条件となることは、前記第一の二、三で認定したとおりであるから、被告一志としては、一〇日の初診時の際と同様、破傷風感染の可能性をも考えて、その発症防止措置として抗生物質を投与すべきであつたことは明らかであるところ、被告一志が一三日亡恒雄に対し、抗生物質クロロマイセチン一日一グラム三日分を与えたこと、しかし破傷風発症防止の観点からみて、その量では不充分であることは前記第一の二、四(一)で認定したとおりである。しかし、被告一志の抗生物質投与不十分と亡恒雄の破傷風罹患、死亡との間に因果関係を肯認できる証拠がないことは前記第一の四(一)で説示したとおりである。

なお、原告らは、一三日の段階で本件創傷から悪臭が発していたので、破傷風感染を疑い、直ちに創面切除、創傷部切断、TIG投与を行うべきであつたと主張するが、<証拠判断略>。また、一三日における壊死部分は、縫合部より指先部分であつたことは前記第一の二で認定したとおりであるから、亡恒雄の希望を容れて本件創傷の縫合に踏み切つた外科医師たる被告一志としては、多少なりとも切断部分を短くしようと、なお数日間切断を保留して切断する場所を検討することも無理からぬところがあると考えられること、一三日の創傷状態が一〇日のそれとの異なる点は、壊死が指先に生じたということであるが、鑑定人百瀬健彦の鑑定結果によれば、壊死は、血行障害によるものであつて、破傷風に感染したためではないことが認められるから右の差異は、本件創傷治療にあたつて被告一志が負う注意義務内容の判断に、直ちに影響を及ぼすものとは考え難いことからすると、被告一志が一三日の段階で、直ちに縫合部からの切断等を始めとする創傷処置を行いまた、TIGを投与すべきであつたとはいえない。

(五)  原告らは、被告一志が一二日と一六日休診し、亡恒雄に対し何らの治療を行わなかつたことはその注意義務に反するものと主張するが、亡恒雄の症状からみて、右いずれの日の場合にも、破傷風発症の現実的危険を想定することは困難であり、右主張は採用できない。

(六) 被告一志が一七日午前一〇時半ないし一一時ころ、亡恒雄を診察し、破傷風の診断を下したこと、被告一志が同日午後〇時半ころ片山病院に亡恒雄を運んだこと(午後一時ころ到着)、被告一志がその間何らの治療もしなかつたことは、前記第一の二で認定したとおりである。そして、破傷風の症状は急激に進展することがあり、その発症後は可及的速やかな処置が要請されるものであることは、後記第二の三で認定するとおりであるから、被告一志が亡恒雄を破傷風と診断した後、なお一時間以上も治療もせずに放置したのは、診療契約上の債務の本旨に従つた完全な履行をしたものとはいえない。被告一志は、斉藤豊に搬送を委ねるべく待機していたと主張するが、そうであるからといつて、同被告に過失がないとはいえない。

しかしながら、被告一志が亡恒雄を直ちに片山病院に搬送し(同病院で適切な治療を受け)ていたとすれば、その死亡が避けられたと断じうる証拠はなく、かえつて、前記第一の三認定のとおり、重症破傷風の症状発生後となつては、その治療着手の時期の先後は予後に影響をもたらすものではないところ、後記第二の四(五)で認定するとおり、亡恒雄のオンセットタイムは僅か二四、五時間程度であり、同人は最も重症に属する破傷風に罹患したものであるから、被告一志が破傷風診断後直ちに亡恒雄に対し適切な治療を施すなり、速かに同人を片山病院に搬送し(同病院で適切な治療を施し)たとしても、なお亡恒雄の死亡は避けられなかつたものといわざるをえず、そうであれば、被告一志の右債務不履行と亡恒雄の死亡との間に因果関係を肯定することはできない。

(七)  <省略>

五被告一志の不法行為責任について

第一の一ないし四で認定した事実関係によれば、被告一志には、その診療をなすにあたり、過失があるとはいえないかあるいは過失があるとしてもこれと亡恒雄の破傷風の罹患及び同人の死亡との間に因果関係があるとは認められない。

第二被告弘、同信及び同松井に対する請求について

一当事者間に争いのない事実

被告弘がその住所地において片山病院を開設、経営し、その院長(医師)であること、被告信が同病院の副院長(医院)であること、被告松井が同病院の外科担当医師であること、亡恒雄が昭和四九年五月一七日破傷風の初期症状を呈したので片山病院に運び込まれ、被告弘との間で、破傷風の治療を目的とする診療契約を締結したこと、亡恒雄が翌一八日破傷風によるけいれん発作のため窒息死したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二亡恒雄の入院から死亡に至る経緯

<証拠>によると、以下の事実が認められる。

(一)  被告弘経営にかかる片山病院は内科、外科(一般外科、整形外科)、産婦人科を専門とするベッド数約二四〇床の病院である。

同病院の副院長で外科(整形外科を含む。)担当の被告信は、一七日正午ころ、被告一志から電話で、破傷風患者の受入方を依頼され、被告信自身過去に破傷風患者を四〇ないし五〇例(うち片山病院において四、五例)経験していたので、これを承諾し、早速業者に破傷風抗毒素血清一〇〇本(二万五、〇〇〇単位)を至急届けるよう注文した。

被告信は、亡恒雄が同日午後一時ころ片山病院に到着したので、早速(被告弘の履行補助者として)亡恒雄を診察したところ、開口障害(指が一本入るか入らないかという程度)、破傷風顔貌及び多少の項部硬直という破傷風特有の初期症状を認めたが、全身けいれんの症状は未だ発現していなかつた。そこで被告信は、さきに被告一志方で切断手術した左手第三指の縫合部位を開放洗滌したが、出血、臭気、ネクローゼはなく、異物等は残存していなかつた。被告松井は、片山病院において外科を担当しており、また正式の資格こそないものの麻酔科の知識経験も深かつたのであるが、被告信に引続いて(被告弘の履行補助者として)亡恒雄を診断した。亡恒雄は、前記のような破傷風の症候を示していたが、全身けいれんの徴候はなく、意識清明であつたので、被告松井及び被告信は、他の外科医師二名と協議のうえ、看護婦に指示して亡恒雄を個室に入れて音響、光を遮断し、刺戟を与えないようにし、亡恒雄に、五パーセントブドウ糖五〇〇cc、抗生物質ホスタサイクリン五〇〇ミリグラム、肝賦活剤タチオン一アンプル、ビタミン混合剤ビスコン一アンプルの静脈点滴、鎮静、鎮痛、鎮痙剤ウインタミン一〇ミリグラム及び同オピスタン三五ミリグラムの筋肉注射を行わせた。

そして被告信は、右の鎮痙剤投与にもかかわらず亡恒雄にけいれん発作がおこつた際には、鎮痙剤カクチリンの注射を行うこと、TIGが到着したらとりあえず五〇〇単位を注射すること、破傷風トキソイド0.5ccの注射を行うよう指示した。被告松井は、その後この指示に従い、TIG投与量を二、〇〇〇単位加える(合計二、五〇〇単位)よう指示した。

被告信及び同松井は、同午後二時から他の患者の外科手術を行つた後、午後四時及び午後六時半ないし七時ころ、亡恒雄の病室に赴いたが、格別の変化は認められなかつた。なお、亡恒雄は、被告信が診察した午後二時前ころ、午後四時ころ及び午後六時半ころのいずれの場合にも、筋肉の硬直を、また午後二時四〇分には著明な嚥下困難を呈していたが、いずれも未だ全身けいれんの症状を示す程度、内容のものではなかつた。

そして被告信及び同松井の指示に基づき、亡恒雄に対し、前記各薬剤の投与が行われた(破傷風トキソイドは午後一時半、TIGは業者の搬送に時間がかかつたため遅れたが午後四時五〇分)。

(二)  そして被告松井は、被告信らとも協議のうえ、午後六時以降の当直医師及び看護婦に対する指示として、午後一二時にTIGを二、五〇〇単位、覚醒時に適宜鎮静、鎮痛、鎮痙剤(カクテリンH五cc、オピスタン七〇ミリグラム)、朝夕に抗生物質セポラン各一グラム、を各投与すること、午後六時には五パーセントブドウ糖五〇〇cc、生理的食塩水五〇〇ccと抗生物質ビクシリン二グラムの点滴を行うことを医師指示票に記載し、また当日の当直医師(非常勤の外科医)に対し、亡恒雄ほか数名の重症患者があることを告げたが、その際亡恒雄の症状について具体的経過説明は行わなかつた。

また被告信及び同松井は、亡恒雄の破傷風潜伏期間が六日半と短いにもかかわらず、一七日の亡恒雄の症状からみて、当面気管切開、人工呼吸、全身麻酔を施す必要はないと考え、片山病院に常備されている人工呼吸器を亡恒雄の病室に運ばせたり、また当直医(外科専攻)及び看護婦に対し、全身けいれんの発作の早期発見のための見回りや、発作の際における対症療法(気管切開、人工呼吸等)の指示等を行わずに帰宅した。

(三)  片山病院の看護婦は、右指示に基づき、亡恒雄に対し、午後六時二〇分点滴を、午後七時には亡恒雄が覚醒したので鎮静、鎮痛、鎮痙剤カクテリン、オピスタンを、午後八時には抗生物質セポラン一グラムを、それぞれ筋肉注射し、また午後一二時にはTIG二、五〇〇単位を筋肉注射したところ亡恒雄が覚醒したので、所定の鎮静、鎮痛、鎮痙剤カクテリン、オピスタンを筋肉注射して温湿布をしたのであるが、午後九時の巡室を含めた右各巡室の際にも亡恒雄の容態に格別の変化はみられなかつた。しかし翌一八日に入ると亡恒雄の喀痰喀出が困難となり、一七日午後九時ころから同人に付添つていた原告両名が病室備付の呼鈴により看護婦を呼び、口中の喀痰吸引を行つた(午前一時一五分、二時二五分)。

その後午前三時ころ、亡恒雄は、興奮気味の様子であり、午前六時一〇分には加えて舌の一部をかみ切り、発汗もあつたので、看護婦は申送りの(午前六時一〇分の場合には、当直医の指示をも受けて)鎮静、鎮痛、鎮痙剤カクテリン、オピスタンを注射した。

亡恒雄は、一八日午前七時には体温三七度二分、脈搏八四で、特に変化なく睡眠中であつたが、午前八時二六分容態が急変したため、付添の原告岩谷みよきからの連絡で看護婦が駈けつけたところ、亡恒雄は、強度の全身けいれんをおこし、舌をかみ、チアノーゼを呈し、呼吸停止の状態にあつた。そこで駈けつけた医師らは、直ちに亡恒雄に対し、酸素吸入、人工呼吸を開始し、一〇パーセントフエノバール(鎮静剤、催眠剤)(アンプル、昇圧剤カルニゲン一アンプル、テラプテク一アンプルを筋肉注射し、一〇パーセントブドウ糖五〇〇ccの点滴を開始し、ボスミン一アンプルを心内静注したが、瞳孔反射はなく、引続き口中の喀痰吸引及び人工呼吸を行つたが効果がなく、気管切開等を行う間もなく、亡恒雄は同日午前八時四〇分窒息死するに至つた。

三破傷風の治療について

<証拠>によれば、以下の事実が認められ、<る。>

破傷風の症状は急激に進展することがあり、その発症後は、可及的速やかな処置が要求される。その治療方法としては、第一に破傷風菌の新たな毒素生防止のための創傷処置、第二に化学療法として、破傷風菌に感性のある抗生物質(ペニシリン、テトラサイクリンなど)投与、第三に血中に遊離している毒素を中和させるための抗毒素血清(TIGの場合、適量について確立しているとはいい難いが、現在のところでは、三、〇〇〇ないし五、〇〇〇単位程度)投与、第四に対症療法があり、けいれんに対して鎮痙鎮静剤、筋弛緩剤を投与するが、極量以上投与してもけいれんを抑えることのできないことも多く、喉頭けいれんや呼吸筋けいれんのため窒息の危険がある場合には、気管切開を行い、気道を確保するとともに、筋弛緩剤を投与してけいれんをとり、人工呼吸を続けるほかに適切な手段がない。このような高度な技術を要する全身管理には麻酔医が中心となつて、高度な設備と熟練した人的要員のある施設で初めて成果があがるものとされている。第五に全身療法として、全身けいれん、食物摂取不能の状態が長期に及ぶ場合には、栄養管理が重要となり、その他水分、電解質を適宜補充する。また一般的看護として、病室は静かなところを選び、暗くして、無用の刺戟を避ける。

四被告弘の債務不履行責任について

(一) 被告弘の履行補助者である被告信及び同松井が亡恒雄を診察した際、既に開口障害を始めとする破傷風の初期症状を呈していた(前記第二の二で認定したとおり)から、このような場合、医師としては(その実効性の有無、程度はともかくとして)、破傷風抗毒素血清とりわけ(副作用のあるウマ血清ではなく)TIGを三、〇〇〇ないし五、〇〇〇単位投与すべきである(前記第一の三及び第二の三で認定したとおり)ところ、被告信及び同松井が看護婦に指示したうえ、一七日午後四時五〇分と午後一二時に亡恒雄に対し、TIG各二、五〇〇単位計五、〇〇〇単位を注射したことは、前記第二の二で認定したとおりであるから、被告弘には、この点に関して何ら債務不履行の事実はない(なお、原告らは、体温表中TIGを投与した旨の記載配分は後に書き加えられたものであり、現に看護記録にはその旨の記載がないと主張するが、看護記録にその記載がないからといつて、直ちに体温表の記載が後に書き加えられたものと推認することはできず、他にこれを窺わせるような証拠はない。)。

(二)  原告らは、被告弘の抗生物質セポランの投与量が不充分であり、少なくとも四時間おきに二グラム(一日一二グラム)投与すべきであるなど、総じて抗生物質の投与量が不充分であつたと主張するが<証拠判断略>、本件の抗生物質の投与量は適当と認められる。

(三) 原告らは、鎮痛、鎮痙剤の投与量が不適切で、投与時間が不規則であつた旨主張する。被告弘の履行補助者である被告信及び同松井が指示して、亡恒雄に対し、鎮痛鎮痙剤として、一七日午後一時すぎころ、ウインタミン一〇ミリグラム及びオピスタン三五ミリグラム、午後七時、午後一二時、一八日午前三時及び午前六時一〇分にそれぞれカクテリンH五cc、オピスタン七〇ミリグラム(なお、全身けいれんをおこした同日午前八時半ころには一〇パーセントのフエノバール一アンプル)を各投与したことは前記第二の二で認定したとおりであるところ、右投与量及び投与方法が不適切であると認めることができる証拠はない。かえつて、鑑定人百瀬健彦の鑑定結果によれば、片山病院での鎮痛、鎮痙剤の投与は妥当と評価しうるものであることが認められる。

(四) 原告らは、被告弘は、当直医及び看護婦に対し、亡恒雄がけいれん発作をおこした場合に投与すべき筋弛緩剤、抗けいれん剤の指示をしていなかつたため、亡恒雄のけいれん時に適切な量の筋弛緩剤、抗けいれん剤の投与が行われなかつた旨主張するが、これを認めることのできる証拠はなく、かえつて、被告弘の履行補助者である被告信及び同松井が、亡恒雄の覚醒時(けいれん発作による場合を含むと解される)に投与すべき鎮静、鎮痙剤(筋弛緩剤、抗けいれん剤)の指示を行つていたこと、その結果適当な量の鎮静、鎮痙剤(筋弛緩剤、抗けいれん剤)の投与が行われたことは、前記第二の二、四(三)で認定したとおりである。

(五) 被告信及び同松井は、一七日午後亡恒雄が筋肉の硬直及び嚥下困難の症状を呈し、また潜伏期間も六日半と短かつたけれども、その症状からみて当面、気管切開、人工呼吸等をする必要ないと考え、非常勤の当直医及び夜勤の看護婦に対し、亡恒雄の右のような症状を告知せず(被告片山信本人尋問の結果によれば、被告信は、亡恒雄の筋肉硬直症状についてカルテ等に記載し忘れたことが認められるから、当直医等はこのことを知らなかつた可能性が強い。)、また、けいれん発作の際における対症療法(気管切開、人工呼吸等)の指示をしないで帰宅したこと、そして亡恒雄は一八日午前一時一五分、同日午前二時二五分、喀痰喀出が困難となり同日午前三時、同日午前六時一〇分には興奮気味で舌の一部をかみ切るなどの症状を呈したのであるが、当直医師等は、気管切開、人工呼吸等の準備もせず、亡恒雄が一八日午前八時二六分ころ全身けいれんをおこして呼吸停止の状態に陥つた際、応急措置しかとれぬまま終始し、気管切開等を行うもなく亡恒雄が死亡するに至つたこと、また被告信及び同松井は、当直医及び看護婦に対して、全身けいれん発作の早期発見のための見回り(<証拠>によれば、少くとも五ないし一〇分毎にすべきである。)を指示せず、そのため殊に一七日午後六時以降をみると、看護婦は午後六時二〇分、七時、八時、九時、一二時に巡室したにすぎず、一八日午前には一度も巡室せず、付添の原告岩谷みよきらの呼鈴に応じて駈けつけるにすぎなかつた(医師は一八日午前八時半ころの段階で漸く現れた)ことは前記第二の二で認定したところによつてあきらかである。

しかしながら、被告信及び同松井が全身けいれん発作の早期発見のための見回りや気管切開、人工呼吸等の指示をせず、そして当直医、看護婦らが右見回りや気管切開、人工呼吸等(の準備)をしなかつたことが原因して亡恒雄の死亡の結果が発生したと認めるべき確証はなく、かえつて、前記第一の二、三、第二の二で認定したところによれば、亡恒雄の罹患した破傷風の症状は、その潜伏期が六日半程度、オンセットタイムが二四、五時間程度であつたところ、潜伏期が一週間以内の破傷風患者の死亡率は九一パーセント、オンセットタイム四八時間以内の重症破傷風患者の死亡率は、最も少ない数値をいうもので六〇ないし九三パーセント、多くは七五ないし一〇〇パーセントとされており、しがも亡恒雄は開口障害出現後第一回目の全身けいれんにより呼吸停止に陥り死亡したものであることは明らかである。そして<証拠>によれば、破傷風は医学の進歩した今日においても最も治療困難な部類に属する疾患で致死率は極めて高く、破傷風トキソイドを用いた正規の予防接種で得られる活動免疫以外には破傷風から人命を確実に守る有効な手段はなく、しかも亡恒雄の右症状に照らすと、亡恒雄の場合は重症破傷風の中でも症状の進行が急激ないわゆる電撃型破傷風というべきものであり、最近の症例における統計ではその致死率は、外科、麻酔科の人的物的諸施設の整つた大学付属病院でも九〇パーセント、通常の医院では一〇〇パーセントであつて、被告弘経営の片山病院において被告信、同松井ら医師及び看護婦らによつて十分な見回り、気管切開、人工呼吸等の準備、措置を含めて最善の治療がなされたとしても、亡恒雄の死亡を回避することは困難であつたことが認められる。従つて、被告弘に被告信、同松井、当直医及び看護婦らが十分な見回り、気管切開、人工呼吸等の準備をしなかつたことにつき診療契約上の債務不履行の責任があるとしても、これと亡恒雄の死亡との間に因果関係を肯認することはできない。

(六)  <省略>

五被告弘の不法行為責任について

原告らは、被告弘の雇用する被告信及び同松井の亡恒雄及び原告らに対する不行為責任を前提として、被告弘の使用者責任を主張するのであるが、被告信及び同松井の不法行為責任をいう原告の主張は理由がないことは次項(第二の六)で認定するとおりである。

六被告信及び同松井の責任

亡恒雄の診療にあたり、十分な見回り、気管切開、人工呼吸等の準備(の指示)をしなかつたことと亡恒雄の死亡との間に因果関係を認めることができないこと、また原告らが主張するその他の点に関しては、右両被告に過失があるとは認められないこと、以上の点はいずれも、被告弘の債務不履行責任に関する部分(第二の四)で認定したところによつて明らかである。<以下、省略>

(篠原幾馬 和田日出光 佐藤陽一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例